スリの親分の顔




闘牛を見に行くため、バスに乗った。
前日、それを見に行き、あまりに牛が気の毒で、辟易した。しかし、一日経ったら、見に行きたくて、たまらなくなった。

メキシコシティは、広大で、道路がまっすぐで、広いように感じた。バスの中で、私は吊り革を握って、立っていた。
バスが停まり、6人ほど、乗ってきた。初老の男が紙袋を引っ掛けた雨傘を手に、わたしの立っている、斜め前の席に座った。
片手に持った、紙袋付きの雨傘を邪魔そうにしながら、よっこらせと座った。その時、上着の裾を左手で、跳ね上げる動作をした。

その左手が斜め後ろに立っている私の右のズボンのポケットを掠めると、中身が全て、床にぶちまけられた。
右のポケットは、膨らんでいたがそれは、手帳と、いくばくかの小銭だった。

「何やった!」と思わず、私は老人の後頭部に向かって叫んでいた。彼の椅子の上の後頭部は、動く事はなく、私の両脇に立っている二人の男(30歳代から40歳代)が「どうした、降りるのか?」と言いながら、床に落ちた物を拾ってくれた。手帳を拾い、小銭を拾い、地図を拾い、また小銭を拾い、私に渡す。
彼らは、先ほど、老人と一緒に乗り込んできたのだ。

椅子に座っていた、中年の男が前へ行け、と指差した。これは、二三人で囲まれたのだと、悟った。すぐに、言われたとおり、前へ行こうとするのが普通なのだろうが私は、その時、もう少し様子をみたいと思った。彼らがそう危険な種族に思えなかった。

私は、左のポケットに手をいれ、財布を握りしめて、彼らの間に立っていた。
さっき、手帳と小銭を拾ってくれた男がまだ、何か拾うように小腰を屈め、肘で私の左のポケットをごりごり擦る。反対の手には、セーターを掛けていた。

これはあかん、と思い、「ペルミッソ!」と叫びながら、前へ行こうとした。すぐ、若い男が通せんぼしたが強引に振り切った。
前へ向かいながら、振り向いて、先の老人の顔を見た。脅しとか言う意味では、なく、どんな顔をしているのか、興味があった。老人は、薄い笑いを浮かべていた。
その顔は、息子に代を譲ったばかりの材木屋の元御主人を連想した。
私は、一番前の席に座り、もう決して、後ろを振り返らなかった。何回か、バスが停車した後、恐る恐る振り返った。当然、彼らは、いなかった。一区間で降りたはずだ。

私がスリに囲まれた時、「前へ行け。」と指差したのは、善良な乗客だ。あの時、バスに乗っていた乗客のほとんど全てが「また、やってるね。今日は、日本人か・・・かもねぎだね。」と思いながら、見物していたのだろう。
昔の日本にも、職人的なスリが居たそうだがメキシコシティのあの老人のような顔をしていたのだろうと思う。

2010.6.22

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